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明宝寒水史は校正が不十分です。当サイト「改訂版明宝寒水史」をご覧ください。

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説話釋氏聞説

 前の布頭家の増田平八(1761~1831、幼名不詳)は幼少の頃、近くの浄土真宗修善坊で読み書きを習い、天文五年(1740)に婿入りして入寺し十一世住職となった釋圓了(1700~1791)に可愛がられて住職の読経時にはその脇についてお経を読み、字が読めるようになると自ら次々とお寺にある経典を読破して殆どの経典を覚えてしまった。
  平八は住職が本寺照連寺へ出向する際はこれに随行し、照連寺でもその教えを受けるなどして終には一切経まで会得した。
 一切経とは、経蔵、律蔵、論蔵の三蔵及びその注釈書を含めた仏教聖典の総称である。

  ある日、平八はいつものように圓了に随行して白鳥村の長滝寺を訪れた時、番僧が経典の虫干しをしていた。
 見たこともない立派な経典が沢山あることに感嘆した平八は思わずその中の一冊を手に取って広げた処、是を見た番僧から「餓鬼が見ても判りゃせん。あっちへ行け。」と怒鳴られた。
 驚いて開いた経典を閉じ元に戻したが見たいものが見えないことと怒鳴られたことが悔しくて堪らなかった平八は、子供が頼んでも見せて貰えないならせめてこの餓鬼呼ばわりをした番僧の鼻を明かしてやりたいと一計を考えた。
 番僧が指を差した方向へ行った平八は「俺の一切経も此処で虫干しをさせて貰う」と言って腹を出し、並べてある経典の隣へ仰臥した。
  番僧は「貴様の腹の虫干しと一緒にするとは無礼な奴だ。」と怒り、これを知って集った他の番僧達と平八は一切経の問答をする羽目となっている所へ、騒ぎを聞いた圓了と長滝寺の和尚が現れた。
 怒り狂ったような番僧達の問いに平然と然も滔々と答える平八の様子に唖然とし、困った和尚は「それでは当寺にしばらく逗留して番僧達に一切経の読誦を聞かせてやってくれ」と言われた。
 番僧達も「そうだ、早速聞かせて貰おう」と迫ってきたことから、仕方がないと思った平八は「それでは今から早速始めても一切経を読誦するだけでも三日三晩はかかるので、米三升の飯を焚いて貰いたい」と応じた。
 和尚は「そりゃ困った。当寺には今そんなに米の余裕はない。それだけ焚くとお前たちの食い扶持がなくなるがよいか」と番僧達に言ったことで番僧達は静かになり、両住職の取り成しもあってこの場が納まった。

 明和七年(1770)頃、隠居し七十路(ひちそじ・現在はしちそじ又はななそじと読まれるようになった)に入った園了は、宝暦十二年(1762)八月に記していた大仏供養物語の写し及び自ら詠んで記した釋教歌数十首を本山へ奉納するために京へ出向いた。
 この時、十歳位だった平八は圓了の子と共に園了に連れられて本山へ行き、十九世乗如光遍聖人(1744~1792)の得度を受けて釋聞説(しゃくもんぜい)の法名を与えられ、圓了の子は釋専了の法名を与えられた。

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