中島家金子氏
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郡上明宝寒水史
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0575-87-0000
〒501-4302 岐阜県郡上市明宝寒水
中島家金子氏
明宝寒水の家号中島家は、源頼朝(1147〜1199)の家臣金子十郎家忠(1138〜1216)の父六郎家範(生没年不詳)の後裔であるという伝承がある。
平良文流の平頼任が北多摩郡村山に住んで村山氏と名乗り、村山頼任の子孫一族を村山党と呼ぶ。
その主な一族に金子氏、宮寺氏、山口氏、仙波氏などがあるが、 金子氏は頼任の孫六郎家範が武蔵国入間郡金子(現埼玉県入間市金子)に移り住んで金子氏を名乗ったことに始まる。
金子家範の子十郎家忠は源頼朝に仕え、源平合戦では義経軍に属して一の谷の戦い(1184)など数々の軍功をたて、本領の金子郷のほか播磨国斑鳩荘などの地頭職になった。
美濃国へは来たこともない。
家忠の子家高(1165頃〜1213)も頼朝に仕え和田の乱(1213)では和田氏に与して北条方に殺された。
家忠は頼朝、頼家及び実朝の三代に仕え、建保四年(1216)に亨年七十九歳で没した。
村山頼任─頼家─金子家範┬高範(難波田氏)
├近範─近吉─範景
└家忠┬家親
├家高┬広家
│ └時家
└家広 ─家繁
郡上郡寒水村へ下向した金子某は五輪塔のうち水、風及び空の部分を持って来たと伝えられ、中島の金子家の墓にその石を使用した五輪塔があったという。
五輪塔は、物質構成の要素である五大を円輪に擬していう密教の語で、下から地輪の方・水輪の円・火輪の三角・風輪の半月・空輪の宝珠形からなり、平安中期頃からの供養塔や墓標で戦国時代の武士が好んで建立しという。
五輪塔には木製や金属製のものもあるが石造りのものが多い。
金龍山本光寺の本堂北側に弁慶岩と称されるひび割れた岩があるが、この岩と中島家の五輪塔の伝説は「義経一行が寒水の地を通りこの時天神前で休息した」とする伝承があるが、五輪塔の一部を持って移住するなどという無意味なことが行われたとは考え難いである。
いずれも明治の半ば以後の史料も知識も貧しい時代に創作されたものであることが窺える。
中島家の伝承は兄の早世により当主の中継ぎをした弟が隠居後の暇潰しに創作したものである。
弁慶岩伝説は先祖が天神社を祀ったとされる前の布頭家の末裔が創作したものである。
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